妊娠高血圧腎症は遺伝するのか|72万人GWASの18座位と、日本人2万人コホートが出した「答え合わせ」

立ち姿の妊婦と、健康診断で腕に血圧計を巻いて血圧を測ってもらう女性を左右に並べたイラスト。 遺伝性疾患

妊娠高血圧腎症は遺伝するのか|72万人GWASの18座位と、日本人2万人コホートが出した「答え合わせ」

本記事は教育目的の情報提供です。 自身または家族の発症リスク・検査の要否・治療方針の判断は、必ず主治医・臨床遺伝専門医・認定遺伝カウンセラーにご相談ください。緊急時は 119 へ。

ケンタ
ケンタ

妻の母と姉が妊娠高血圧だったそうで、正直、不安で…

先生
先生

気持ちはわかります。多くの方が同じ不安で来られます。家族の中で集まりやすいことは、集団規模の研究でも確かめられています。

ケンタ
ケンタ

遺伝子検査で分かると聞いたんですが、本当ですか?

先生
先生

気持ちはわかります。ただ複数の研究を通しても、いまの遺伝子検査で発症の有無を言い当てられる段階にはまだありません。

ケンタ
ケンタ

生まれてくる子にも遺伝するんでしょうか。

先生
先生

そのご心配もよく伺います。ただ研究が示す仕組みは単一の遺伝子で決まる病気とは違い、家族に検査を回していく考え方は当てはまりません。

ケンタ
ケンタ

では僕たちは、具体的にどう動けばいいんですか?

先生
先生

結論から言うと、健診と家族歴の伝え方が要です。制度と研究の両面から順に整理して、主治医への相談の仕方までご説明します。

結論: 妊娠高血圧腎症の「なりやすさ」は、確かに家族の中で集まります。スウェーデンの70万妊娠を解析した研究があります。発症しやすさのばらつきの約35%が母体側の遺伝、約20%が胎児側の遺伝で説明されました。ただし、遺伝子検査で発症の有無を言い当てられる段階ではありません。日本人1万9836人のコホートでは、遺伝スコアを足しても予測精度の改善が統計的に有意ではありませんでした。いま実際に効くのは、妊婦健診を1回も飛ばさないことと、家族歴を主治医に具体的に伝えることです。

🚑 妊娠20週以降、次のサインが出たらすぐ連絡を

  • 今までに経験のない強い頭痛
  • 目がちかちかする、見えにくいなどの視野の異常
  • みぞおちや右上腹部の痛み
  • 急なむくみ、急な体重増加
  • 胎動が減った、吐き気や嘔吐が続く

上のサインがあれば、時間帯を問わずかかりつけの産科に連絡してください。けいれん、意識がもうろうとする、激しい腹痛、性器出血があれば 119 番です。

この記事でわかること

  • 妊娠高血圧腎症の「遺伝」が、単一の遺伝子で決まる病気の遺伝とどう違うのか
  • 2023年の大規模な遺伝子解析と日本人コホートが、どこまで示してどこで止まったのか
  • 日本で保険が使える検査と、使えない検査の境目はどこか
  • 家族歴がある人が、妊婦健診と産後に具体的に何をすればよいか

§1 本体は「血圧が上がる」ことではなく「胎盤がうまく作れなかった」こと

ケンタ
ケンタ

血圧の病気だと思っていました。違うんですか?

先生
先生

結論から言うと本体は胎盤です。国立成育医療研究センターの解説でも、妊娠に対する母体の適応不全と説明されています。

多くの方は、妊娠中に血圧が上がる病気だと理解しています。しかし公的な解説では、病態は「妊娠に対する母体の適応不全」とされています。妊娠の初期に、栄養膜という胎盤のもとになる細胞が子宮の血管を作り替えます。この作り替えがうまく進まないと、胎盤が慢性的な血流不足になります。すると sFlt-1 のような、血管を新しく作る働きを邪魔する物質が母体の血液に出ます。その結果として母体の血管の内側が傷み、高血圧・蛋白尿・肝腎障害・胎児発育不全が現れます。

つまり高血圧と尿蛋白は、原因ではなく最初に表面に出てくる合図です。痩せていても、もともと血圧が低くても発症しうる理由はここにあります。妊娠初期の胎盤の作られ方が主役だからです。

日本では、妊娠時に高血圧を認めた場合を妊娠高血圧症候群 (HDP) と呼びます。2018年に日本妊娠高血圧学会が定義と分類を改定しました。日本産科婦人科学会の診療ガイドライン原案も、この定義分類を診断基準として採用しています。

病型 どんな状態か
①妊娠高血圧 妊娠20週以降に初めて高血圧が出て、分娩12週までに戻るもの
②妊娠高血圧腎症 高血圧に蛋白尿、または臓器の障害が加わったもの
③加重型妊娠高血圧腎症 もとからの高血圧に、20週以降の蛋白尿や臓器障害が加わったもの
④高血圧合併妊娠 妊娠前からの高血圧で、③には至らないもの

蛋白尿は、24時間の尿で蛋白 300mg 以上、または随時尿の蛋白/クレアチニン比 0.3 以上で診断します。

ケンタ
ケンタ

5〜10%と2.3%、どちらを信じればいいんですか?

先生
先生

どちらも正しく、対象の定義が違うだけです。エコチル調査は慢性高血圧の方を除いた実測値なので、見方は主治医に確認してください。

発症頻度は、出典によって数字が違います。国立成育医療研究センターの解説は、全妊娠の5〜10%としています。一方、全国出生コホート「エコチル調査」の9万6796人での実測は HDP 2.3%、重症 HDP 0.7% でした。この差は、対象の定義や除外基準の違いによるところが大きいと考えられます。エコチル調査は慢性高血圧の方を除き、妊娠22週以上の単胎に限っています。どちらか一方だけを「日本人の発症率」として受け取らないでください。数字の幅が気になるときは、主治医に自分の施設での見方を聞いてみてください。

ここまでのまとめ: 妊娠高血圧腎症の主役は血圧ではなく胎盤の作られ方です。日本では2018年の定義に沿って4つの病型に分類されます。

§2 「遺伝する」の中身 — 半分強は遺伝で説明できるが、自分の遺伝子だけの話ではない

ケンタ
ケンタ

半分は遺伝って、どこまで確かな話なんですか?

先生
先生

スウェーデンの70万妊娠を解析した研究で、発症しやすさのばらつきの約35%が母体側の遺伝で説明されました。

家族集積の内訳を数字で示した古典的な研究があります。スウェーデンの出生登録と多世代登録を使った集団ベースの研究です。24万4564組のきょうだいペアが持つ70万1488妊娠を解析しました。

発症しやすさのばらつきは、次のように分解されました。

  • 母体側の遺伝: 約35%
  • 胎児側の遺伝: 約20% (母由来と父由来がほぼ同じくらい)
  • カップル効果: 約13%
  • きょうだいで共有した環境: 1%未満
  • 測定できていない要因: 約32%

ここから読者にとって大事な結論が3つ出てきます。

第一に、家族集積の半分強は確かに遺伝で説明できます。母や姉に既往があるという不安には、根拠があります。

第二に、それでもこれは単一の遺伝子で決まる病気ではありません。多数のよくある遺伝的な個人差が少しずつ積み重なる、ポリジェニック (多因子) の病気です。ですから「保因者」という考え方は成立しません。保因者とは、発症しないまま原因の遺伝子変化を持ち、子に伝えうる人のことです。妊娠高血圧腎症にはその枠組みが当てはまりません。「50%の確率で受け継ぐ」型でもありません。受け継ぐのは病名ではなく、なりやすさの傾きです。

第三に、胎児側の遺伝が2割寄与するということは、お腹の子の半分を占めるパートナー由来の遺伝子も関わるということです。「母親の体質だけの問題」という理解は正確ではありません。これは誰かを責めるための情報ではありません。発症は、母体・胎児・胎盤という3者のやりとりの結果です。

ケンタ
ケンタ

じゃあ、僕の遺伝子も関係してくるんですか?

先生
先生

胎児側の遺伝が約20%寄与すると報告されています。誰かを責める話ではないので、気になる点は主治医に率直に聞いてください。

なお、この研究は集団全体のばらつきを分解したものです。特定の遺伝子や検査を指すものではなく、個人の発症確率を出す道具でもありません。自分の場合はどうか、という問いは主治医への相談で扱うべき問題です。

ここまでのまとめ: 家族集積の半分強は遺伝で説明できますが、受け継ぐのは病名ではなく傾きです。胎児側とカップル効果の寄与もあり、母親ひとりの体質の話ではありません。

§3 2023年に何が分かったのか — 18の座位と、5つの生物学的な道すじ

ケンタ
ケンタ

遺伝子の名前を覚える必要はあるんでしょうか。

先生
先生

その必要はありません。2023年の解析が示した18の座位より、血管新生や胎盤の発生といった5つの道すじのほうが大切です。

2023年に、これまでで最大規模の GWAS が報告されました。GWAS とは、ゲノム全体を網羅的に調べて病気との関連を探す解析です。妊娠高血圧腎症/子癇 2万64症例と対照 70万3117例、妊娠高血圧 1万1027症例と対照 41万2788例の多民族メタ解析です。症例と対照を合わせると72万人規模になります。ただしこれは合計であり、ひとつの研究の参加者数ではありません。

この解析は、発症に関連する18の独立した座位を同定しました。座位とは、関連の信号が出た染色体上の場所のことです。うち12は新しく見つかったものです。原著が例として挙げた座位名は MTHFR-CLCN6、WNT3A、NPR3、PGR、RGL3 です。さらに PLCE1 と FURIN が、複数の形質をまとめた解析で見つかりました。

読者にとって重要なのは遺伝子の名前ではありません。それらが指し示した、次の5つの道すじです。

  • ナトリウム利尿ペプチドシグナル (血圧と体液量の調節にかかわる仕組み)
  • 血管新生 (新しい血管をつくる働き)
  • 腎糸球体機能 (腎臓のろ過装置のはたらき)
  • 栄養膜発生 (胎盤のもとになる細胞が育つ過程)
  • 免疫調節異常 (母体と胎児のあいだの免疫のやりとり)

§1で説明した「胎盤の作られ方」と「母体の血圧・血管の調節」の両方に、遺伝的な個人差が乗っている。この構造を、遺伝子解析が別の角度から裏づけた形になります。

ケンタ
ケンタ

MTHFRの検査を受ければ分かりますか?

先生
先生

米国臨床遺伝・ゲノム学会は、MTHFR多型検査の臨床的有用性は乏しいとしています。検査の要否は主治医と相談してください。

ここで誤解されやすい点をひとつ補足します。MTHFR-CLCN6 は、先ほど説明した「座位」の名前です。MTHFR が原因遺伝子と特定されたわけではありません。世の中に出回る「MTHFR C677T の検査で葉酸の代謝が分かる」という話とは別の内容です。米国臨床遺伝・ゲノム学会 (ACMG) は、MTHFR 多型検査を臨床的な有用性が乏しいとしています。血栓のなりやすさを調べる検査として日常的に出すべきではない、というのが同学会の結論です。

この研究は、ゲノムワイドな遺伝スコアが臨床のリスク因子とは独立に発症を予測したとも報告しました。低用量アスピリン予防の対象を再分類しうる、とも述べています。ただし原著自身の結論は「妊娠のリスク層別化を前進させる可能性がある」という表現です。これは将来の可能性の提示であって、診療への実装ではありません。日本や ACOG・ISSHP・NICE の推奨は、いずれも臨床のリスク因子で対象を決めています。海外の記事でこの話を読んだときは、そのまま主治医に持ち込む前に、記事の日付と結論の書き方を確認してください。

ここまでのまとめ: 2023年の解析は18座位と5つの道すじを示しました。ただし主要ガイドラインは、いまも臨床のリスク因子でアスピリンの対象を決めています。

§4 日本人ではどうだったのか — 東北メディカル・メガバンク2万人の「答え合わせ」

ケンタ
ケンタ

日本人のデータもあるんですね。結果はどうでした?

先生
先生

東北メディカル・メガバンクの1万9836人の研究では、遺伝スコアが1標準偏差高いとオッズ比1.10〜1.20でした。

ここが本記事の中核です。東北メディカル・メガバンク計画の三世代コホート 1万9836人を用いた研究が、2025年に報告されました。母体側だけでなく、父体側の遺伝スコアまで評価した点が特徴です。

まず用語を整理します。ポリジェニックリスクスコア (PRS) とは、多数のよくある遺伝的な個人差を足し合わせ、なりやすさを点数にしたものです。オッズ比とは、ある特徴を持つ人と持たない人で発症のしやすさを比べた数値です。C統計量とは、発症する人としない人をどれだけ見分けられるかを 0.5〜1 で表す指標です。

指標 結果
収縮期血圧 PRS (1標準偏差あたり) オッズ比 1.14 (95%CI 1.05-1.24)
拡張期血圧 PRS (1標準偏差あたり) オッズ比 1.20 (1.11-1.31)
妊娠高血圧腎症 PRS (1標準偏差あたり) オッズ比 1.10 (1.01-1.19)
予測精度 (C統計量、外部検証コホート) 0.849 → 0.851 (P=0.520)

数字だけ見ると「日本人でも遺伝の効果がある」と読めます。しかし原著はもっと慎重です。これらの有意な関連は主に外部検証コホートが引っ張っており、内部検証コホートでは関連が弱く有意ではなかった、と明記しています。コホートのあいだに有意なばらつきもありました。つまり結果は集団によって揺れています。

次に予測精度です。妊娠初期の血圧まで含めたモデルの C統計量は、母体 PRS なしで 0.849 でした。母体 PRS を加えても 0.851 で、この差は統計的に有意ではありませんでした (P=0.520)。妊娠確認時点のモデルでも 0.777 から 0.784 で、やはり有意ではありません (P=0.242)。原著は「識別能の頑健な改善という点では限られた証拠しかない」と書いています。

ここは正確に受け取ってください。原著の結論文は「両親の PRS は臨床予測変数とあわせて、妊娠高血圧腎症の予測に役立つ可能性がある」です。「PRS は役に立たない」と断定した研究ではありません。「上乗せ効果が統計的に有意ではなかった」が正しい読み方です。

ケンタ
ケンタ

それなら僕の妻も検査したほうがいいのでは?

先生
先生

予測精度は0.849から0.851で、上乗せは統計的に有意ではありませんでした。迷うときは遺伝スコアより主治医への相談を先に。

では、オッズ比 1.10〜1.20 は自分にとって何を意味するのでしょうか。絶対リスクに直してみます。エコチル調査での日本人妊婦の HDP 実測は 2.3% でした。ここを出発点にすると、遺伝スコアが1標準偏差高い群でも、おおよそ 2.5〜2.8% 程度の水準感になります。100人中2〜3人が発症する、という幅の中の動きです。これはあくまで概算であり、個人の発症確率ではありません。「PRS が高い=発症する」ではない、ということだけ持ち帰ってください。

もうひとつ、正直に書いておくべき結果があります。この研究の外部検証コホートでは、HDP の家族歴そのものが発症と関連しませんでした。家族歴を入れたモデルの C統計量も 0.572 で、参照モデルの 0.577 を上回りませんでした。日本人コホートでは、家族歴の予測への寄与が一定しなかったということです。それでも家族歴を主治医に伝える意味は別のところにあります。理由は§7で説明します。判断に迷うときは、遺伝スコアの数字ではなく主治医との相談を出発点にしてください。

ここまでのまとめ: 日本人コホートでも母体 PRS と発症の関連は見えましたが、結果はコホート間で揺れました。予測精度への上乗せは統計的に有意ではありませんでした。

§5 日本でいま受けられる検査 — 妊婦健診が土台、sFlt-1/PlGF比は保険収載、遺伝子検査は対象外

ケンタ
ケンタ

家族歴がある場合、特別な検査はあるんですか?

先生
先生

土台は妊婦健診です。国が示す回数は出産までに14回程度で、毎回血圧と尿蛋白を確認する仕組みになっています。

日本の制度だけで整理します。

(1) 妊婦健康診査。国が示す回数は、妊婦1人につき出産までに14回程度です。間隔は妊娠23週までが4週間に1回、24〜35週が2週間に1回、36週以降が1週間に1回です。各回で血圧・尿 (糖と蛋白)・体重・浮腫・子宮底長・腹囲などを測ります。つまり妊娠高血圧腎症の早期発見は、制度としてすでに全妊婦に組み込まれています。

ただし「14回が公費」は「全額無料」という意味ではありません。令和6年4月1日現在、全1741市区町村が14回以上助成しており、公費負担額の全国平均は 109,730円 でした。一方で受診券方式の1607市区町村のうち、望ましい基準の全項目を公費で実施しているのは 1477 (91.9%) です。こども家庭庁は、約8%の自治体で検査項目の一部に公費負担が及んでいないと整理しています。自己負担が出ないような公費負担額を設定していると答えたのは約65%でした。助成の内容には自治体差があります。詳しくは、お住まいの市区町村の窓口で確認してください。

ケンタ
ケンタ

sFlt-1/PlGF比という検査は受けられますか?

先生
先生

2021年に340点で保険収載されましたが、対象は疑い例に限られます。受けられるかは主治医の判断なので診察時に聞いてください。

(2) sFlt-1/PlGF比。これは血液中のタンパク質の濃度を測る検査で、遺伝学的検査ではありません。試薬メーカーの発表によると、2021年7月1日に 340点 で保険収載されました。位置づけは、妊娠高血圧腎症の短期発症予測の補助マーカーです。対象は妊娠18週から36週未満 (=妊娠35週まで) で、妊娠高血圧腎症が疑われる妊婦です。算定は原則として一連の妊娠につき1回です。

条項 算定要件のリスク因子
(イ) 収縮期血圧 130mmHg 以上、または拡張期血圧 80mmHg 以上
(ロ) 蛋白尿
(ハ) 妊娠高血圧腎症を疑う臨床症状または検査所見
(ニ) 子宮内胎児発育遅延
(ホ) 子宮内胎児発育遅延を疑う検査所見

この表は「リスクが高い人ほど受けやすい検査」を意味しません。 以下は診療報酬点数表の条文で、臨床検査項目データベースで確認できる内容です。対象は (イ)〜(ホ) のいずれかを有する妊婦です。診療ガイドライン原案も、これに対応する5項目のリスク因子を挙げています。そしてリスク因子を2つ以上有する場合は、原則として算定できません

医学的な必要があるときは、詳細な理由をレセプトの摘要欄に書くことで算定しうるとされています。さらに、すでに妊娠高血圧腎症と診断されている妊婦には保険適用外です。つまり緩和されるのは要件の「いずれか1つでよい」という点だけです。2つ以上での原則不可と、診断後の適用外という制限は残ります。

検査の性能も押さえておきます。陰性的中率とは、検査が陰性だった人のうち実際に発症しなかった人の割合です。陽性的中率は、陽性だった人のうち実際に発症した人の割合です。

カットオフ値38以下なら、1週間以内に発症しないことを陰性的中率98.6%で予測できます。38より高い場合は、4週間以内の発症を陽性的中率30.3%で予測します。ただし38以下でもハイリスクであることに変わりはなく、健診間隔を詰めるなどの慎重な管理が必要とされています。受けるかどうかは主治医の判断になりますので、気になる方は診察時に聞いてみてください。

(3) 遺伝学的検査・ポリジェニックスコア。妊娠高血圧腎症のリスク評価として、日本の保険診療には組み込まれていません。消費者向け (DTC) 遺伝子検査の状況は流動的です。国内の代表格だった MYCODE は、2024年9月30日でサービスを終了しました。現在稼働している国内サービスが該当項目を扱っているかは、記事執筆時点で個別の確認が必要です。

海外の DTC が出すスコア型レポートの位置づけは、提供する事業者によって異なります。診断のための検査として受け取らないでください。結果の解釈に迷う場合は、認定遺伝カウンセラーに相談してください。

ここまでのまとめ: 家族歴がある方にとって最も確実な検査は、毎回の妊婦健診の血圧と尿蛋白です。sFlt-1/PlGF比は疑い例のための検査で、遺伝子検査ではありません。

§6 低用量アスピリンによる予防 — エビデンスは強い。日本での使い方には制約がある

ケンタ
ケンタ

海外で読んだアスピリン、効果はあるんですか?

先生
先生

ASPRE試験では、早発型の発症がプラセボ群4.3%に対しアスピリン群1.6%で、オッズ比0.38と報告されました。

海外の記事でこの話題を見つけて、期待を持って来られる方が多い項目です。まず効果の大きさを確認します。

ASPRE 試験は、多施設の二重盲検ランダム化比較試験です。早発型の妊娠高血圧腎症が高リスクとされた単胎妊娠 1776人が対象でした。妊娠11〜14週から36週まで、アスピリン 150mg/日 かプラセボが投与されました。妊娠37週未満での妊娠高血圧腎症合併分娩は、アスピリン群 13人 (1.6%)、プラセボ群 35人 (4.3%) でした。オッズ比は 0.38 (95%CI 0.20-0.74)、P=0.004 です。100人あたりで見ると、4人台から2人弱に減った計算になります。新生児の有害転帰などに、群間の有意差はありませんでした。

ケンタ
ケンタ

じゃあ妻にも飲んでもらったほうがいいですよね?

先生
先生

日本では予防目的が適応外で、出産予定日12週以内は添付文書上の禁忌です。自己判断で始めず、必ず主治医に相談してください。

ここからが日本の話です。

項目 日本での扱い
妊娠高血圧腎症の予防としての効能・効果 なし。予防目的は適応外使用
保険適用 予防目的の保険適用はない
妊婦への禁忌 出産予定日12週以内 (おおむね妊娠28週以降)
ガイドライン上の位置づけ 既往女性の次回妊娠で考慮 (推奨レベル C)

禁忌の理由も添付文書に書かれています。妊娠期間の延長、動脈管の早期閉鎖、子宮収縮の抑制、分娩時出血の増加のおそれです。産婦人科診療ガイドライン産科編2026の原案は、CQ311-2 の Answer ⓫ でこう書いています。妊娠高血圧腎症を発症した女性に対し、再発予防目的で次回妊娠時に低用量アスピリン服用を考慮する (推奨レベル C)。対象は既往のある女性の次回妊娠です。家族歴があるだけの初回妊娠の方への一般的な推奨ではありません。

海外の推奨とはずれがあります。米国産科婦人科学会 (ACOG) は、高リスク因子を1つ以上持つ人に妊娠12〜28週から分娩まで 81mg/日 を推奨しています。日本の禁忌期間である28週以降は、これら海外の推奨期間と重なります。そのまま輸入できない理由はここにあります。ガイドライン原案も、適応外使用であることなどを患者に説明し、同意を得たうえで処方することが重要だとしています。

読者にとっての実務的な結論は3つです。自己判断で始めないこと。家族歴や既往を主治医に伝えて相談すること。そして市販の解熱鎮痛薬で代用しないことです。市販薬にもアスピリン (アセチルサリチル酸) を含む製品があります。用量も適応も異なるため、妊婦が自己判断で飲むことは危険です。

なお本記事で参照したガイドラインは、学会が公開したパブリックコメント原案で確認したものです。刊行版の最終的な文言と一致するかは確認できていません。最新の扱いは主治医に確認してください。

ここまでのまとめ: アスピリンの予防効果は強いエビデンスがありますが、日本では適応外使用で28週以降は禁忌です。対象は主に既往例の次回妊娠です。

§7 血縁者・パートナー・次回妊娠への波及 — カスケード検査は成立しない

ケンタ
ケンタ

義母や義姉にも検査を勧めるべきでしょうか。

先生
先生

その必要はありません。スウェーデンの研究が示したとおり原因は多数の遺伝的個人差に散らばり、カスケード検査は成立しないのです。

単一の遺伝子で決まる病気では、家族に順番に検査を勧めていく方法があります。これをカスケード検査と呼びます。原因の遺伝子変化が分かっている家系で、血縁者に同じ変化があるかを調べる進め方です。妊娠高血圧腎症には、この枠組みが当てはまりません。原因が多数の遺伝的個人差に散らばっているからです。

代わりに現実的に意味のあることが3つあります。

(1) 家族歴を伝える。母・姉妹・娘が妊娠したとき、遺伝子検査を勧めるのではなく、家族歴そのものを妊娠初期に主治医へ伝えるよう促してください。日本産婦人科医会の研修ノートは、妊娠高血圧腎症や高血圧、2型糖尿病の家族歴を遺伝的素因としてリスク因子に挙げています。ガイドライン原案が引く ACOG も、妊娠高血圧腎症の家族歴を中リスク因子に含めています。伝え方は具体的なほど役に立ちます。誰が、何週で、どうなったかまで伝えてください。

なお§4で見たとおり、日本人コホートでは家族歴の予測への寄与が一定しませんでした。家族歴は「発症を当てる道具」ではなく「注意深く見てもらうための情報」だと考えてください。

(2) パートナーの遺伝も関わるという構造。胎児側の遺伝が2割寄与する以上、この点は事実として押さえておく価値があります。ただし「相性が悪い」といった非科学的な言い方には落とさないでください。誰かに責任を帰属させる話ではありません。

ケンタ
ケンタ

次の妊娠でまた同じことが起きますか?

先生
先生

日本産婦人科医会の研修ノートでは、既往がある方の再発は14.7%と示されています。次の妊娠を考え始めたら産科にご相談を。

(3) 次回妊娠での再発。日本の研修ノートには、次回妊娠での発症率が示されています。

前回の妊娠 次回に妊娠高血圧 次回に妊娠高血圧腎症
妊娠高血圧だった 11.3% 3.4%
妊娠高血圧腎症だった 7.4% 14.7%

妊娠高血圧腎症の既往がある方の再発は 14.7% と報告されています。裏を返せば、100人のうち85人前後は次回に妊娠高血圧腎症を発症していません。この段階こそ、§6で見たガイドライン上の考慮対象になる場面です。次の妊娠を考え始めたら、その時点で産科に相談してください。同ノートは、次回妊娠に向けて BMI を 18.5〜24.9 に戻して維持することも勧めています。

ここまでのまとめ: 血縁者にできる最も現実的な行動は、遺伝子検査ではなく家族歴を伝えることです。既往がある方の次回妊娠は、アスピリン相談の対象になりえます。

§8 産んだら終わりではない — 産後の血圧と、遺伝情報の扱いの現在地

ケンタ
ケンタ

産んだあとも気をつけることはありますか?

先生
先生

あります。約349万人を集めたメタ解析では、既往のある方の後年の高血圧が平均14.1年の追跡で3.70倍でした。

妊娠高血圧症候群の既往は、その後の人生の心血管疾患リスクと結びついています。1万人規模ではなく、女性 348万8160人を集めたシステマティックレビューとメタ解析があります。うち妊娠高血圧腎症の既往がある方は 19万8252人でした。

後年に増えるもの 相対リスク 平均追跡期間
高血圧 3.70 倍 14.1 年
虚血性心疾患 2.16 倍 11.7 年
脳卒中 1.81 倍 10.4 年
静脈血栓塞栓症 1.79 倍 4.7 年
がん (全体) 0.96 倍 (上昇なし)

相対リスクとは、既往のない人と比べて何倍かを示す数値です。倍率だけを見ると怖く感じますが、時間軸を一緒に見てください。高血圧の 3.70倍 は、平均14.1年の追跡で観察された数字です。静脈血栓塞栓症の 4.7年 だけが大きく短い点にも注意が必要です。そして同じ解析で、がんのリスク上昇は認められませんでした。全がん 0.96倍、乳がん 1.04倍 です。すぐ何かが起きる話ではなく、長く見ていく理由がある、という受け取り方が適切です。

ケンタ
ケンタ

がんも増えるという話を見て、怖くなりました。

先生
先生

同じ解析でがんの上昇は認められず、全がんは0.96倍でした。産後も年1回程度の健診を、かかりつけ医と続けてください。

日本の受け皿もあります。ガイドライン原案の CQ311-2 Answer ⓬ にも記載があります。妊娠高血圧症候群を発症した女性には、長期にわたる定期的な健康診断を勧める、という内容です。日本妊娠高血圧学会の診療指針は、血圧・血糖値・脂質・腎機能・尿検査などを含む健診を、少なくとも年1回程度としています。

産後の早い時期については、多くの自治体で産後2週ごろと1か月ごろの産婦健康診査に助成があります。助成の有無や金額の運用は、自治体によって異なります。詳細はお住まいの自治体の公式ページで確認してください。その後は、かかりつけの内科で血圧を見続ける形に移行します。

産褥期 (=出産後しばらくの回復期) の警戒も忘れないでください。HELLP 症候群とは、溶血・肝機能障害・血小板減少が重なる重い合併症です。ガイドライン原案の解説によると、HELLP 症候群・子癇・脳卒中のそれぞれ 30%・44%・36% が産褥期の発症です。産後に強い頭痛や視野の異常が出たら、すぐ連絡してください。

心理面についても書いておきます。家族歴を知ると「自分の家系のせい」「自分の体質のせい」と考えてしまう方がいます。しかし発症の主座は妊娠初期の胎盤形成にあります。本人の努力や心がけ、生活態度で決まるものではありません。減塩や体重管理が足りなかったから発症した、という話でもありません。不安が続くときは、主治医や認定遺伝カウンセラーに率直に話してください。

遺伝情報の扱いにも一言触れます。日本には米国の GINA のような包括的な遺伝情報差別禁止法はありません。他方で、何の対応もない状態でもありません。令和5年 (2023年) の通常国会で、ゲノム医療推進法が成立しました。同法にはゲノム情報による不当な差別等への適切な対応の確保が盛り込まれています。

厚生労働省は令和6年8月20日に、労働分野の Q&A を公表しました。金融庁は令和7年3月25日に、保険分野における対応を公表しています。なお妊娠高血圧腎症は日本の保険診療で遺伝学的検査の対象ではありません。読者が検査記録を持つ場面自体、そもそも想定されにくいと言えます。

ここまでのまとめ: 既往のある方は、産後も血圧を見続ける理由があります。がんの増加は認められておらず、恐れる話ではなく続ける話です。

よくある質問

Q1. 母と姉が妊娠高血圧症候群でした。必ず発症しますか?

いいえ、必ずではありません。家族集積の半分強は遺伝で説明できますが、受け継ぐのは傾きです。エコチル調査での日本人妊婦の HDP 実測は 2.3% でした。家族歴がある場合でも、発症しない方のほうが多数です。不安があれば、初診の問診で家族歴を具体的に伝えてください。

Q2. 子どもにも遺伝しますか?

「病気そのものが伝わる」という形ではありません。娘さんが将来妊娠したときのために伝えられるのは、家族歴という情報です。単一遺伝子病ではないため、家族に検査を勧めていく方法は成立しません。

Q3. 遺伝子検査に保険は使えますか?

妊娠高血圧腎症の遺伝学的検査やポリジェニックスコアは、日本の保険診療に組み込まれていません。保険が使えるのは sFlt-1/PlGF比 で、これは血液中のタンパク質を測る検査です。遺伝子検査ではない点に注意してください。算定には週数と要件の制限があります。

Q4. 遺伝情報が就職や保険で不利になりませんか?

日本に包括的な遺伝情報差別禁止法はありませんが、行政の対応は進んでいます。ゲノム医療推進法が成立し、厚生労働省が労働分野の Q&A を、金融庁が保険分野の対応を公表しています。そもそも本疾患は保険診療の遺伝学的検査の対象ではありません。

Q5. セカンドオピニオンは取るべきですか?

説明に納得できないときや、方針に迷いがあるときは選択肢になります。妊娠中は時間の制約があるため、まず主治医に疑問をそのまま伝えるのが早道です。判断に迷う場合は、臨床遺伝専門医や認定遺伝カウンセラーへの相談も検討してください。

まとめ

妊娠高血圧腎症は、確かに家族の中で集まります。しかし受け継ぐのは病名ではなく、なりやすさの傾きです。2023年の大規模解析は18の座位と5つの道すじを示しました。日本人1万9836人のコホートでも、母体 PRS と発症の関連は見えました。それでも予測精度への上乗せは、統計的に有意ではありませんでした。

だからこの記事は「あなたが発症するかどうか」を判定しません。代わりに、今日からできる4つを置いておきます。

  1. 妊婦健診を1回も飛ばさない
  2. 家族歴を、誰が・何週で・どうなったかまで主治医に伝える
  3. 頭痛・視野の異常・上腹部痛などが出たら、すぐ産科に連絡する
  4. 産後も血圧を見続ける

この4つは、遺伝子検査を1回も受けずに全部できます。判断に迷ったときは、主治医・臨床遺伝専門医・認定遺伝カウンセラーに相談してください。

本記事は教育目的の情報提供です。 自身または家族の発症リスク・検査の要否・治療方針の判断は、必ず主治医・臨床遺伝専門医・認定遺伝カウンセラーにご相談ください。緊急時は 119 へ。

参考文献

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  7. 同上 CQ311-1 (パブリックコメント原案). https://www.jsog.or.jp/activity/publication/pdf/sanka_gl2026_pc1.pdf
  8. 診療報酬点数表「sFlt-1/PlGF比」340点 (2021年7月1日 保険収載) — 算定要件の条文は BML 臨床検査項目データベースで確認. https://uwb01.bml.co.jp/kensa/search/detail/10405255 / 収載日・点数・製品名の補足として、ロシュ・ダイアグノスティックス「エクルーシス試薬 sFlt-1/PlGF」保険収載に関するリリース (2021-07-01、検査試薬メーカーの製品プレスリリース). https://www.roche-diagnostics.jp/media/releases/2021-7-1
  9. こども家庭庁「妊婦健康診査の公費負担の状況に係る調査結果について」(令和7年4月15日公表). https://www.cfa.go.jp/press/2cf467a4-025c-4b69-a1a6-8a69626fd658
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  13. 金融庁「ゲノム情報による不当な差別等への対応の確保(保険分野における対応)」(令和7年3月25日) https://www.fsa.go.jp/news/r6/hoken/20250325/20250325.html / 厚生労働省「同(労働分野における対応)に関するQ&A」 https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_42269.html
  14. 日本産婦人科医会 研修ノート No.115『プレコンセプションケア』(3) 妊娠高血圧症候群 (HDP). https://www.jaog.or.jp/note/no115_2_14_3/
  15. バイアスピリン錠100mg 電子添文 (JAPIC code 00047330). https://www.kegg.jp/medicus-bin/japic_med?japic_code=00047330
  16. 国立成育医療研究センター「妊娠高血圧症候群 (HDP)」. https://www.ncchd.go.jp/hospital/sickness/children/037.html
  17. 株式会社DeNAライフサイエンス「MYCODE サービス終了に伴う遺伝子検査結果提供終了のお知らせ」. https://mycode.jp/information/20240606_2.html

最終更新日: 2026-09-03

著者: 水野 悠(Yu Mizuno)(GeneLumen編集部 編集責任者・非医師)。公開された 17 件の医学エビデンスを横断分析・再構成しました。内訳は参考文献 17 件を実際の URL の性格で数え直したものです。tier 1=8 件 / tier 2=7 件 / tier 3=1 件 (検査試薬メーカーの広報資料) / tier 4=1 件です。引用元にはこども家庭庁・厚生労働省・金融庁の公表資料が含まれます。日本産科婦人科学会のガイドライン原案と PubMed 収載の査読論文も引用しました。海外の制度は日本との対比のためだけに用いています。編集責任: 水野 悠 (Yu Mizuno)、非医師のリサーチ・エディター。

本記事は教育目的の情報提供であり、診断・治療方針の決定は必ず主治医・臨床遺伝専門医・認定遺伝カウンセラーにご相談ください。 緊急時は 119 / 各地域の救急外来にご連絡ください。

画像: いらすとや (https://www.irasutoya.com/) より

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